大峰堂の歴史

大峰堂 歴史 年表

大峰堂は、創業1900年の漢方老舗メーカーです。創業以来洗練し続けてきた超臨界(Co2)、アルコールそして熱水抽出技術、製剤技術を利用し、天然物のチカラを最大限に引き出すことができます。

1期創業期 1887~1945

1887
行者丸製剤許可
大峰山・龍泉寺から「行者丸」の製造・販売許可を傳授(でんじゅ)される
大峰山・龍泉寺から「行者丸」の製造・販売許可を傳授(でんじゅ)された際の書。利吉は創業以前、すでに製造・販売許可を取得していた。この書には、「行者丸」という薬を製造し、これに役行者の像をつけて販売してもよい、という内容が書かれている。
1900
(写真上)大峰山は古くから山伏の修行の場であり、現在も捨身行が行われている。(写真左下)龍泉寺から授けられた講社周旋許可証。(写真右下)辻 利吉、製薬業創立
辻利吉 製薬業創立 「行者本舗 大峯堂」
現在の大峰堂薬品工業株式会社の前身である「行者本舗大峯堂」を創業。利吉は類まれなる才能と独自の経営哲学で人の心を捉え、多大な業績をあげるも、商売で得た利益で、決して私腹を肥やそうとはせず、行商人たちに還元する一方で、信仰する大峰山龍泉寺や京都の醍醐寺へ多額の金品を惜しむことなく寄付した。
1910
(写真左)開祖・役行者の尊像。(写真右)役行者像寄贈時の書類
辻利吉 役の行者像を龍泉寺に寄贈
創業10周年、利吉は社名に「辻薬舗」を使うとともに、龍泉寺に大峰山の開祖・役行者の尊像(青銅)を寄贈した。像は現在も龍泉寺に残され、当時の寄贈書も残っている。
1913
(写真上)「行者丸」製剤の製造・販売許可 再発行1。(写真下)「行者丸」製剤の製造・販売許可 再発行2
辻利吉 再び製造・販売許可を得る
利吉の善行が認められ、再び1913年に行者丸製剤の製造・販売許可を得、その機会に社名を「行者本舗 大峯堂 辻利吉」に変更した。
1914
醍醐寺三宝院門跡より得た医薬品献上許可証
辻利吉 醍醐寺三宝院門跡から医薬品の献上許可を受ける
醍醐寺三宝院門跡より、「行者丸」、「救命丸」、「行丹」の献上許可を受けた。この御礼として、桜の苗木700本を寄付したといわれている。
1921
「風邪熱さまし頓服グート風薬」を発売
「風邪熱さまし頓服グート風薬」を発売
1922
「行者正セメン圓」を発売
「トンプクはらぐすり小角」を発売
1943
「トンプクはらぐすり小角」を発売
「行者正セメン圓」を発売
1944
事業報告書・売薬営業権廃届書
大和合同製薬株式会社として統合
第二次世界大戦中,医薬品企業の整備統合が進み、大峯堂は一時的に売薬業者62名による「大和合同製薬株式会社に統合され、同社の天満工場として稼働。清六は常務取締役に就任した。

2期戦後の発展 1945~1975

1946
医薬品製造業許可申請書の写し 株式会社大峯堂
株式会社大峯堂設立。医薬品製造業許可、医薬品販売業許可を受ける。
1946年になると、戦時中、大和合同製薬に統合されていた大峯堂を含む企業が6社独立した。大峯堂は、「株式会社大峯堂」を設立し、厚生大臣より医薬品製造業許可および医薬品販売業許可を受けた。
1947
(写真上)工場継承届 大峯堂薬品工業株式会社。(写真下)工場法適用届書 大峯堂薬品工業株式会社
辻 清六が大峯堂薬品工業株式会社を設立し、初代代表取締役に就任
清六は1925年父親利吉が急逝し18歳で事業を継承してからというもの、戦時中そして世界恐慌の真っ只中においても新製品の開発に勤しみ、販売品目を増やしていった。そして1947年、大峯堂薬品工業株式会社を設立し、初代代表取締役に就任した。
1949
臓器薬六神丸
「臓器薬六神丸」を発売
動物性生薬を主体とした製剤で、麝香(じゃこう)、牛黄(ごおう)、蟾酥(せんそ)、サフラン、人参(にんじん)、真珠(しんじゅ)、沈香(じんこう)が配合されている。効能・効果はどうき、息切れ、気付け などである。
1953
役行者相伝薬行者陀羅尼助
「役行者相伝薬行者陀羅尼助」を発売
オウバクを主薬とする下痢止め薬。1300年前に大峰山で修行をしていた役行者が、疫病の治療をするために製造したものが陀羅尼助の起源といわれている。
1954
年間売上高1千万円突破
1957
配置市場に初の糖衣錠を上市
揮発性成分を内包したまま糖衣コーティングする技術を開発。大手メーカーの技術者を驚かせたという。「総合新感冒錠コーピタン」は1952年に発売した散剤のコーピタンに糖衣を施したもので、配置薬市場に糖衣錠の風邪薬を出したのは大峰堂薬品工業が初めてであった。
1957
行者丸赤玉
「行者丸赤玉」を発売
塩化ベルべリン、ロートエキス、甘草(かんぞう)エキス粉末、芍薬(しゃくやく)エキス粉末、ゲンノショウコエキス粉末、などを配合。
効能・効果 : 下痢、消化不良による下痢、食あたり、はき出し、水あたり、くだり腹、軟便、腹痛を伴う下痢
1963
大宝心
「大宝心」を発売
六神丸を糖衣錠化した製品で、麝香(じゃこう)、人参乾燥エキス、牛黄(ごおう)、蟾酥(せんそ) 、熊胆(ゆうたん) 、羚羊角(れいようかく)、サフラン、沈香(じんこう)、真珠(しんじゅ)等が配合されている。効能・効果はどうき、息切れ、気付け である。当時、強心薬といえばほとんどが小粒の丸剤で、これを錠剤としたのは大峰堂薬品工業が初めての試みであった。
1971
カルミン頭痛歯痛
「カルミン頭痛歯痛」を発売
伝統的なパッケージデザインで、即座に効能効果を連想させる。
効能・効果 : 頭痛・歯痛・抜歯後の疼痛・咽喉痛・耳痛・関節痛・神経痛・腰痛・筋肉痛・肩こり痛・打撲痛・骨折痛・捻挫痛・月経痛(生理痛)・外傷痛の鎮痛,悪寒・発熱時の解熱
1972
柴苓湯・十味敗毒湯・当帰芍薬散・補中益気湯・六君子湯
漢方エキス製剤30品目上市
漢方薬のフィルムコーティング錠第1号を、配置販売向けとして1968年に発売。1972年には、当時専務であった成典が、設立したばかりの漢方薬販売事業部の先頭に立ち、近畿、中国、四国地方へエキス剤シリーズ30品目の販売にあたった。
1972
(写真上)有地滋教授にご講演頂いた時の様子。(写真下)森山健三教授にご講演頂いた時の様子
大峰堂漢方研究会を設立
大峰堂漢方研究会を設立。漢方薬は個人の体質や病状に合わせて用いる必要があるため、当時は主に配置販売業者の方を対象に外部の講師をお招きし、年3~6回程度開催。
1974
年間売上高1億円突破
1975
近畿大学医学部東洋医学研究所へ研究員派遣
近畿大学医学部東洋医学研究所開設と同時に研究員を派遣。東洋医学研究所の有地滋教授をはじめ、薬学部の久保道徳教授 等にご指導頂いていた。当時の同研究所における漢方治療は煎剤によるものであったが、煎剤づくりが治療に追いつかず、エキス剤を用いる検討がなされた結果、大峰堂の製品が使用される事となった。

3期新たな市場への展開 1976~1990

1976
辻 成典
辻 成典が代表取締役に就任
父、清六社長に帝王学を学ぶ傍ら製薬、とくに漢方薬への造詣を深める一方、主に新規販売ルートの開拓に手腕を発揮していた。配置向けの商品開発で業績を伸ばしてきた大峰堂に薬局ルートという新しい道を切り開いたのは成典である。
1976
富山医科薬科大学 和漢薬研究所
富山医科薬科大学 和漢薬研究所へ研究員派遣
近畿大学教授 有地滋 氏の紹介で富山医科薬科大学教授 荻田善一 氏の研究室に研究員を派遣。本格的に和漢薬の研究を始めた。麝香(じゃこう)や芍薬(しゃくやく)に関する研究や、大峰堂で使用していた原料を用いて八味地黄丸の薬理遺伝学的研究など幅広く行なっていた。
1976
医療用漢方製剤が薬価基準に収載される
武見太郎 日本医師会長を中心とする方々の尽力により、多くの医療用漢方製剤が薬価基準に収載された。これにより医療機関における漢方製剤への関心が高まった。これを受け、弊社においても「医療用製剤開発プロジェクト」が発足。処方の選択や剤形の決定、申請や販売の戦略立て等、着々と準備を進めていった。
1977
大峰胃腸丸
「大峰胃腸丸」を発売
1970年代初めには、「役行者相伝薬行者陀羅尼助」をリニューアルした黄柏(おうばく)製剤「行者丸」が主流の製品であったが、さらなるリニューアル品として開発されたのがこの「大峰胃腸丸」である。一般的な陀羅尼助は健胃整腸剤であるが、鎮痛鎮痙剤としての芍薬(しゃくやく)を配合し、さらに「胃痛」の除去を狙っている点が大きな特徴である。実際に研究所や病院での評判も良く、1977年の臨床論文および1993年の3施設での臨床評価結果をもとに効能追加申請した結果、「胃痛」および「胃部不快感」の効能追加が認められた。大峰胃腸丸には黄柏(おうばく)末、甘草(かんぞう)末、芍薬(しゃくやく)末、人参(にんじん)末が配合されている。
1979
辻 滋子
辻 滋子が代表取締役に就任
成典社長の不慮の事故で死去した悲しみの中、周りからの温かい励ましの言葉もあり、社長就任を決意する。打ち出した方針の一つに「社員教育の徹底」があり、社内組織改革を積極的に行った。また、1995年には薬事功労者知事表彰受賞。表彰理由に社業に尽力。極めて温厚で礼儀正しく、社員はもとより取引関係者からの信望も厚い等、素晴らしい人間像を物語った表彰であった。
1981
小青竜湯
医療用漢方製剤のOEM開始
1976年から開始された医療用製剤開発プロジェクトが実を結び、ついに1981年、医療用漢方製剤24品目が薬価収載された。なお、販売に関してはカネボウ薬品に委託。同社を通じて全国の医療機関へ供給を開始した。
1983
年間売上高10億円突破
1984
峰寿丸
「峰寿丸」を発売
「八味地黄丸」を基本に、生薬粉末を蜂蜜にて丸剤としたもの。主として中年以降で次のような場合に用いられる。
 ・のどが渇き、小便が近くなって夜間たびたび小便の為起きる。また、小便の出が悪く、残尿感のある人。
 ・老人で、皮膚がかさかさして、うるおいがなく、時々かゆみがある場合。
 ・からだの疲れがひどく、だるくて足が冷えたりだるかったり、足の裏がほてったりする人で、下痢や嘔吐等がない場合。
1986
「カネボウ」商標の柴苓湯と八味地黄丸
医療用漢方製剤27品目をカネボウ薬品を通じて全国の医療機関へ供給
供給開始当初の商標は、「大峰堂の」が品目の頭についていた。その後、製品の規格等を変更できる機会を得、カネボウ薬品の販売戦略上、「カネボウ」を前面に出した商標に統一する要望があり、1986年、全ての薬価収載品目に反映する事となった。
1986
恵婦丸
「恵婦丸」を発売
「桂枝茯苓丸」を基本に、生薬粉末を蜂蜜で練って丸剤としたもの。 桂皮(けいひ)、茯苓(ぶくりょう)、牡丹皮(ぼたんぴ)、桃仁(とうにん)、芍薬(しゃくやく)が配合されている。
効能・効果 : 比較的体力があり、ときに下腹部痛、肩こり、頭重、めまい、のぼせて足冷えなどを訴える次の諸症
月経不順、月経異常、月経痛、更年期障害、血の道症、肩こり、めまい、頭重、打ち身(打撲症)、しもやけ、しみ
1987
資本金を2,000万円に増資
医療用漢方製剤9品目追加
医療用漢方製剤9品目を追加し、合計36品目をカネボウ薬品を通じて全国の医療機関へ供給。この36品目は、現在もクラシエ薬品を通じて供給させて頂いている。
1987
(写真左)受賞した小青竜湯。(写真右上)規格変更して上市。(写真右下)ならグッドデザイン賞を受賞
一般用漢方薬 規格変更し上市(40品目)
一般用漢方薬シリーズを規格変更して上市した。なおこのパッケージは、清六が当初用いたデザインで上市した。またこのデザインは、後に「第三回ならグッドデザイン展」にて知事表彰に輝いている(1991年)。
1988
エキスプラント増設 当時最新鋭であったスプレードライヤー
品質管理棟、エキスプラント増設
品質管理試験室およびエキス工場の拡張を行った。エキス工場は従来の4倍の面積に拡張し、当時最新鋭のスプレードライ装置(漢方薬を煎じて、抽出した溶液を乾燥粉末化して、エキス粉末を製造する機械)を導入した。
1988
大宝心ゴールド
「大宝心ゴールド」を発売
ワシントン条約の関係から、業界全体で麝香(じゃこう)含有製剤の成分量の統一や効能効果の統一が計られた。大峰堂においても「大宝心」の麝香(じゃこう)含有量を変更し、効能・効果については業界統一の「どうき、息切れ、気付け」に変更した。
1989
(写真上)生薬展示場。(写真下)橿原研修センター
橿原研修センターおよび生薬倉庫を新設
橿原研修センターおよび生薬倉庫を新設。また、研修センター内に生薬標本室を開設した。この生薬展示場には約1500種の生薬標本を常時展示する一方、自社製品の展示や構成生薬の実物や製剤サンプルも展示。
1989
年間売上高20億円突破

4期さらなる飛躍へ 1990~2014

1992
葛根湯加川芎辛夷
「葛根湯加川芎辛夷」を発売
葛根(かっこん)、麻黄(まおう)、大棗(たいそう)、川芎(せんきゅう)、辛夷(しんい)、桂皮(けいひ)、芍薬(しゃくやく)、甘草(かんぞう)、生姜(しょうきょう)等が配合されている
効能・効果 : 鼻づまり、鼻炎
1995
大峰薬草便秘薬
「大峰薬草便秘薬」を発売
センナ、大黄(だいおう)、黄柏(おうばく)等が配合されている。
効能・効果 : 便秘。便秘に伴う頭重、のぼせ、肌あれ、吹出物、食欲不振(食欲減退)、腹部膨満、腸内異常醗酵、痔の緩和
1997
葛根湯
「葛根湯」を発売
葛根(かっこん)、麻黄(まおう)、大棗(たいそう)、桂皮(けいひ)、芍薬(しゃくやく)、甘草(かんぞう)、生姜(しょうきょう)等が配合されている。効能・効果 : かぜの初期症状、鼻かぜ又はかぜによる頭痛若しくは肩こり
2000
大峰堂百年史ごあいさつ 辻滋子社長より発刊によせて 久保道徳教授より
大峰堂百年史 発行 
創業100周年という大きな節目を迎え、その記念と戦前から2000年までに渡る歴史を記録として残す事を目的として「大峰堂百年史」を編纂。創業から大峰堂を支え、発展させてきた先人たちの努力の足跡がここに記されている。
2000
辻 将央
辻 将央が代表取締役社長に就任
惜しまぬ努力の末、独自の経営哲学を見い出す。天然物から有効成分を抽出するというコア技術をベースに、医薬品のみならず医薬部外品、化粧品、保健機能食品などの分野にも事業領域を拡大し、国内市場に留まらず積極的に海外市場にも展開を図る。世界の健康創造総合企業を目指すとともに世の人々に貢献したいという想いが溢れた人物像である。
2000
資本金を4000万円に増資
2006
(写真上)奈良(五條)工場 全景。(左下)アルコール抽出プラント。(右下)超臨界抽出プラント
奈良工場(アルコール抽出プラント、超臨界抽出プラント)完成
総敷地面積8900坪(約29000m²)の土地に超臨界抽出プラント、アルコール抽出プラント、原料・商品倉庫を保有する工場を完成させた。医薬品事業のみならず素材関連事業などへの異業種への参入も図っている。
2006
疎経活血湯
「疎経活血湯」を発売
当帰(とうき)、地黄(じおう)、川芎(せんきゅう)、白朮(びゃくじゅつ)、茯苓(ぶくりょう)、桃仁(とうにん)、芍薬(しゃくやく)、牛膝(ごしつ)、威霊仙(いれいせん)、防已(ぼうい)、羌活(きょうかつ)、防風(ぼうふう)、龍胆(りゅうたん)、陳皮(ちんぴ)、生姜(しょうきょう)、白芷(びゃくし)、甘草(かんぞう)、塩酸グルコサミン等を配合。
効能・効果 : 関節痛、神経痛又は筋肉痛。
2008
辻社長 稲盛経営者賞を受賞
辻将央社長、稲盛経営者賞を受賞
京セラ株式会社とKDDIという2つの大企業を創業し、4兆を超える企業体にまで成長させた稀代の事業家「稲盛和夫」氏に学ぶ「盛和塾」に将央社長は出席し、自社の業績の永続的な繁栄と全従業員を幸せに導く方法について学んだ。そして、そこで学んだことを経営へと活かし、日々努力した結果、稲盛経営者賞第3グループ第一位を受賞することとなった。
2009
年間売上高30億円突破
2009
麻黄湯
「麻黄湯」を発売
麻黄(まおう)、杏仁(きょうにん)、桂皮(けいひ)、甘草(かんぞう)等が配合されている。
効能・効果は、ふしぶしの痛む初期のかぜ。
2014
年間売上高40億円突破

5期現在まで 2015~2020

2015
年間売上高50億円突破
2018
ドイツにOminedo Pharmaceutical Deutschland GmbH 設立
ドイツにおいて漢方製剤の販売許可を取得
2019
年間売上高60億円突破
2019
YamatoGast
ドイツにてYamatoGast の販売開始
2020
年間売上高70億円突破

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